部下の点数を、下げた側になった日 − "評価の椅子"を運ぶ40代課長の話 −
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面談室は、静かでした。
こちらは、丁寧に説明しようとします。期待していた役割。できていたこと。足りなかったところ。次に見たいこと。順番に、言葉を選びながら渡していく。でも、言葉を選べば選ぶほど、口調は少しずつ固くなっていきます。
相手は、黙って聞いていました。最後に「わかりました」と言いました。
でもそれは、納得した、という「わかりました」ではありませんでした。これ以上ここで何を言っても、もう変わらない。そういう受け止め方の「わかりました」でした。少なくとも、僕にはそう聞こえました。
先に、正直に書いておきます。この記事は、評価面談のうまい伝え方の話ではありません。低い点数を、自分の口で渡したあとに残る、誰にも言えない後味の話です。
しんどかったのは、点数を下げたこと、そのものじゃありませんでした。この人の一年を、こんなに短い言葉で渡していいのか。その感覚のほうでした。
📒 先に、この記事の3行
- 低い評価を渡した夜の後味は、あなたが冷たいからではない。ちゃんと見ていた人ほど、重くなる
- 高評価の席は、先に数が決まっていることがある(評価の椅子)。でも、その説明を渡しても、部下の明日は動かない
- 渡すべきなのは、納得ではなく「次に変える場所」。見ていたことは、点数ではなく言葉と任せ方で返す
ナギ
「わかりました」は、納得ではなかった
低い評価の面談で、あとまで残るのは、点数そのものより、渡し方の後味です。
面談の最中は、意外と平気なんです。役割に入っているから。伝えるべきことを、伝えるべき順番で渡していく。その作業に、気持ちが少し追いつかないまま、時間が過ぎていく。
飲み込んだ言葉が、いくつもありました。頑張っていなかったと言いたいわけじゃない。見ていなかったわけでもない。この点数で、あなたの一年を全部決めたつもりはない。どれも本当のことです。でも、面談の場で言えば言うほど、言い訳か、慰めに聞こえてしまう気がして、口の中で消しました。
後味が来るのは、いつも、面談が終わったあとでした。
評価シートを閉じたとき。席を立ったとき。ひとりになった帰り道。そして、いちばん効いたのは、翌朝でした。低い評価を渡したばかりのその相手と、廊下で「おはようございます」を交わす。相手はいつも通り。こちらも、いつも通りを装う。その数秒の、なんとも言えない感じ。あれが、いちばん長く残りました。
評価を確定させるとき、システムのボタンを押す指が、一瞬止まることがあります。クリックひとつで、その人の一年に、名前がついてしまう気がするからです。実際には、一年の全部がその点数になるわけではありません。でも、受け取る側には、そう見えることがある。それが、こわい。
これを読んでいるあなたにも、たぶん、似た瞬間があったのだと思います。冷たいから残るのではありません。むしろ逆です。
評価の椅子|決めた場所と、渡した場所
低い評価は、面談室で生まれていないことがあります。
管理職になって、はじめて見えた景色があります。高い評価の席は、最初から無限にあるわけではない、ということです。制度があり、分布があり、全体の調整があり、原資の枠がある。誰かを上げれば、どこかで釣り合いを取る。座れる椅子の数は、面談が始まるより、ずっと前に、だいたい決まっていることがある。
僕はこれを、心の中で「評価の椅子」と呼んでいます。
もしあなたが、いま「自分のせいで、あの人を下げてしまった」と感じているなら、まず、ひとつ息をついてほしいのです。座れなかったのは、あなたの采配だけの結果ではない。力の足りない人だったから、でもない。椅子の数は、先に決まっていた。ここは、本当のことです。
決めた場所は、会議室です。渡す場所は、面談室です。点数が決まる場所には、制度と全体最適がありました。渡す場所には、その人の顔がありました。自分がすべてを決めたわけではない。でも、自分の口で渡した。この二つは、どちらも本当のことです。
ただ、ここで話を終わらせたくなる自分がいることも、書いておかないといけません。椅子の数のせいにして、「だから仕方なかった」で締めれば、少し楽になれるからです。
でも、それは違う。
最後に自分が判断した部分は、たしかにありました。推薦しきれなかった部分も、面談で説明しきれなかった部分もありました。そして何より、椅子の数の話は、渡す側の後味を説明してはくれても、受け取った部下に渡せるものには、ならない。「椅子が足りなかったんだ」と本人に言ったところで、その人の明日は、一ミリも動かないのです。
言葉を重ねるほど、「じゃあ、なぜこの評価なんですか」
丁寧な説明が、丁寧なまま、刺さらないことがあります。
「ちゃんと見ていました」「頑張っていたのは分かっています」。そう言葉を重ねるほど、相手の中には、たぶん、別の問いが立ちます。じゃあ、なぜこの評価なんですか。見ていて、頑張りも分かっていて、それでこの点数なんですか、と。
そこから、逃げてはいけないのだと思います。
これは、想像で書いているのではありません。僕自身が、受ける側だったことがあるからです。
正直に言うと、低い評価を渡されて、心から納得できたことは、ほとんどありません。だいたいは、制度の話を説明されて、心の中で「なんだそれ」と思っていました。口には出しませんでした。でも、納得できないまま過ごす日々のほうが、ずっと長かった。あの感覚は、いまでも覚えています。
ナギ
制度の説明は、渡す側を少し守ってくれます。でも、受け取る側の明日は、動かしてくれません。
そしてもう一つ、気づいたことがあります。受ける側だったころ、上司はただ、点数を渡すだけの人に見えていました。でも、渡す側に回ってみると、そこにも別の重さがありました。もしかすると、あの時の上司も、同じ後味を、家に持ち帰っていたのかもしれない。そう思えるようになったのは、自分がこの席に座ってからでした。
「見ていた」と「点にできた」は、違う
数字に乗らなかったものは、消えたわけではありません。
その人の一年のなかには、点数に乗せにくいものが、いくつもありました。チームの空気を、そっと保っていた調整。新人に、根気よく教えていた時間。表に出ない作業を、黙って拾っていたこと。事情を抱えながら、それでも踏ん張っていたこと。見えている人には、見えています。でも、それを点数にそのまま乗せられるかというと、そうはいかないことがある。
「見ていた」と「点にできた」は、違うのです。見ていた。でも、点にはできなかった。その差が、面談室に、静かに残ります。
僕が渡したのは、点数でした。でも、面談室にあとまで残ったのは、その人の一年から、こぼれ落ちたもののほうでした。
ただ、ここで気をつけないといけないことがあります。「見ていたよ」と伝えるだけで、終わらせてはいけない、ということです。
見ていた、とだけ言う面談は、やさしい顔をした行き止まりになります。気持ちは伝わるかもしれない。でも、その人の次の一年は、どこにも進まない。だから、見ていたことは、その先とセットで渡さないと意味がないのだと、あとになって思いました。
渡せるのは、納得ではなく「次に変える場所」
低い評価のあとに管理職ができるのは、優しい言葉で、点数を帳消しにすることではありません。
いちばんやってはいけない渡し方が、一つあります。「今のまま頑張ってくれれば、大丈夫だから」。一見、やさしい。角も立たない。でも、受け取る側からすれば、いちばん苦しい言葉です。今のままでいいなら、なぜこの評価だったんですか、と。答えのない問いだけが、手元に残るからです。
白状すると、僕もこの言葉を、言いかけたことがあります。その場が丸くおさまるからです。
でも、もし今日の面談で、うっかりこの言葉を言ってしまっていたとしても、遅くはありません。評価は、面談の一回で終わるものではないからです。次の1on1で、言い直せます。「この前の面談で、うまく言えなかったんだけど」と、もう一度、席をつくればいい。
あの面談の最後に、僕が本当に言いたかったのは、こういうことでした。
この評価で、あなたの一年を全部見たつもりはありません。ただ、次に何を見たいかは、はっきり伝えます。次の期で、ここを一緒に取りにいきましょう。
理由を、ごまかさないこと。次の道筋を、曖昧にしないこと。点に乗らなかったものを、見ていた、と言葉で返すこと。
それが、あの日、僕にできる全部でした。うまくは、言えませんでしたが。
面談は、終点ではありません。次の関係の、始点です。
翌日から急に距離を取りすぎると、相手は、本当に見捨てられたと感じます。だから、いつも通り接する。でも、何もなかったことにも、しない。次の期に、何を任せるか。できた時に、ちゃんと見ていた、と伝えられるか。渡しきれなかったものは、面談室の外で、少しずつ返していくしかないのだと思います。
まとめ|割り切らないまま、渡し続ける
僕はいまも、完全には割り切れていません。
たぶん、割り切らないほうがいい部分も、あるのだと思います。
評価の椅子は、先に数が決まっていることがあります。それでも、その椅子に座れなかった現実を、本人の前で渡すのは、自分でした。構造も本当。後味も本当。ただ、椅子の話は、渡す側の後味を説明してはくれても、部下に渡せるものにはなりません。だから、渡すのは、理由と、次に変える場所です。
低い評価を渡すなら、理由と、次に変える場所を、一緒に渡さないといけない。見ていたことは、点数ではなく、言葉と、次の任せ方で返す。それが、あの後味に対して、僕がようやく見つけた答えらしきものです。
この後味は、消さなくていいのだと思います。それは、ちゃんと見ていた人にしか、残らない後味だから。
📒 持ち帰り
- 低い評価の後味は、冷たさの証拠ではない。見ていた人ほど、重くなる
- 評価の椅子(席の数)は、後味の説明にはなっても、渡すものにはならない
- 渡すのは納得ではなく、理由と「次に変える場所」。見ていたことは、言葉と任せ方で返す
ナギ
— Calmly. Surely. —
📖 参考書籍|「耳の痛いこと」を、渡す側のために
渡し方のうまい下手を、テクニックとして語る本は、たくさんあります。でも、この一冊を置きたいのは、そういう理由ではありません。耳の痛いことを「渡す側」に残る重さと、その渡し方を、逃げずに正面から扱っているからです。うまく言うための本、ではなく、渡す側が壊れないための本として、そばに置いておける一冊だと思っています。
フィードバック入門 耳の痛いことを伝えて部下と職場を立て直す技術
低い評価や改善点を、相手の明日につながる形で渡す。逃げずに、でも追い詰めずに伝えるための理論と手順が整理されています。渡し方のテクニックより先に、渡す側の腹の据え方から支えてくれる一冊。
- 耳の痛いことを「届く形」で伝える順序
- 面談で逃げずに、でも傷つけずに渡す技術
- 評価を「次に変える場所」まで一緒に渡す考え方
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※本記事のエピソードは、特定の個人や職場を想定したものではなく、一般的な状況をもとに再構成しています。
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