「特にありません」と言った日。 − ある持ち場だけに出していた"心の内示" −
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ある会議で、発言を求められた時のことです。
「特にありません」
と、僕は答えました。
その会議では、以前なら何かしら意見を出していました。小さな違和感でも、改善できそうな点でも、一度は言葉にしていたと思います。
本当に何もなかったわけではありません。少し気になっていることは、ありました。ただ、それを説明し、議論し、その後の調整まで引き受けることを考えた瞬間、「まあ、いいか」と思ったんです。
会議はそのまま終わりました。誰にも迷惑はかけていません。問題も起きていない。
でも、あとになって少し引っかかりました。
何も言わなかったのではなく、もう引き受けたくなかったのではないか。
「静かな退職」という言葉があります。会社を辞めるわけではないまま、やりがいやキャリアアップは求めず、決められた仕事を淡々とこなす働き方のことです。僕はこの言葉を、ずっと若い世代の話として、そして管理職が「そういう部下」とどう向き合うかという文脈で見てきました。
もし、部下の静かな退職が気になってこのページを開いた人がいたら、先にひとつだけ聞かせてください。部下を見ているあなた自身の心は、今、どこにありますか。
この記事は、部下への対処法の話ではありません。管理職である僕自身の話です。
ただ、先に書いておくと、僕は全部を辞めたわけではありませんでした。
ナギ
📒 先に、この記事の予告を3行
- 管理職の静かな退職は、「全部」より「持ち場ごと」に起きることがある
- 心の中で出していた「この仕事から異動」という辞令。名付けるなら「心の内示」
- 分かれ目は熱量ではなく、自分で心の置き場所を選べているか
どこで、僕は店じまいしていたか
あの会議のあと、自分の仕事をひとつずつ眺めてみました。すると、心をこっそり引き上げていた持ち場が、いくつかあることに気づきました。
毎年ほとんど同じ内容を確認するだけの会議。
結論がなかなか出ないまま続く横断活動。
誰が最終的に決めるのかが曖昧な宿題。
本来の目的より、説明の形を整えることが中心になっている仕事。
誤解しないでほしいのですが、放棄したわけではありません。期限は守る。求められた資料は出す。会議にも参加する。必要だから続いているものもあるし、誰かがやらなければ回らないことも分かっています。
でも、以前なら「もっと良くする方法はないか」「せっかくやるなら、意味のある形にしたい」と考えていたところで、いつからか、「必要なところまでやればいい」と考えるようになっていました。
頷きだけは、一流だった。中身を、僕はもう引き受けていなかったのに。
これは、仕事を手放して人に渡す「捨てる勇気」の話ではありません。むしろ逆です。手元に置いたまま、心だけをそっと引き上げていた話です。任せたのでも、断ったのでもない。持ったまま、気持ちだけが先に退勤していました。
思えば、かつて「罰ゲームみたいだ」と感じていた種類の仕事から、僕は順番に心を引き上げていたのだと思います。
省エネ運転に切り替えたのは、いつからだろう。切り替えた記憶がないのが、いちばん怖い。
最低限しかやらなかった、というより、心を使う場所を選び始めていた。それが健全な選択だったのか、諦めだったのか。当時は自分でも、うまく区別できていませんでした。
静かな退職は、若い人の話だと思っていた
静かな退職という言葉には、どこか若い世代の働き方という印象がありました。出世を望まず、決められたことだけをする。仕事より自分の生活を優先する。そうした部下を、管理職がどう扱うか。目にするのは、そんな文脈ばかりだったからです。
ところが、データを見て少し驚きました。
マイナビが2026年4月に発表した「正社員の静かな退職に関する調査2026」(20〜59歳の正社員3,000人対象)では、静かな退職に該当すると答えた人は全体で46.7%。年代別では20代が50.5%と最も高く、40代は42.3%と、全年代で最も低い結果でした。
若い世代の話だと思っていた自分は、半分正しかったことになります。でも、もう半分は違いました。
一番少ない世代の中に、自分がいた。
数字を見ながら、考えました。40代は、静かに退職する余裕がないのかもしれません。責任もある。部下もいる。自分だけ仕事を止めるわけにはいかない。だから、全面的には心を引き上げられない。
その代わりに、業務ごとに熱量を変えている。
人やチームには心を残す。形式的な仕事からは、少し引き上げる。そう考えると、全面的な静かな退職が40代に少ないことと、僕のような部分的な省エネが存在することは、矛盾なく両立します。
これは日本だけの話でもないようです。ギャラップの「State of the Global Workplace 2026」によれば、世界全体で、日々の業務に本気で関与していると答えた管理職は22%にとどまり、働く人全体のエンゲージメント低下を牽引しているのは、管理職自身の意欲低下だといいます。
部下の火を心配している側の火が、世界中で静かに小さくなっている。笑えない話です。
全部を、辞めたわけじゃなかった
自分に起きていたことへ、あとから名前をつけるなら、こうなります。
辞表は出していない。ただ、心のなかで「この仕事から異動」という辞令を、自分にこっそり出していた。
僕はこれを「心の内示」と呼んでいます。誰かに異動を命じられたわけではありません。担当を外れたわけでもない。出席もするし、必要な作業もする。ただ、心の中では、その仕事から少し異動していた。誰にも言わない、自分だけの人事異動です。
考えてみると、管理職の仕事には「ここまでやれば最低限」という線がありません。プレーヤーの頃は、担当業務が終わっているかどうかで線が引けました。管理職の仕事は範囲が曖昧で、やろうと思えばどこまでもやれるし、やらなくても誰も気づかない部分がある。だから僕の場合、静かな退職は、仕事を全部やめる形ではなく、持ち場ごとに心の置き方を変える形で現れたのだと思います。
では、僕はどの持ち場に心を残していたのか。
人と、チームです。
部下が困っていること。これから何を任せるか。チームの仕事を、少しでも良い状態で次へ渡すこと。誰かが見えないところで抱えている負担。全部に十分な時間を使えているわけではありません。見落とすこともあります。それでも、人に関わるところまで「必要な分だけやればいい」とは、思いたくありませんでした。
以前、課長席からの眺めは悪くない、と書いたことがあります。その気持ちは、今も変わっていません。眺めは、今も悪くない。ただ、毎日その眺めに感動できるほど、心が元気なわけではない。席の価値を感じていることと、そこにあるすべての仕事へ同じ熱量を注ぎ続けられることは、別の話でした。
全部を辞めたわけじゃない。
辞めた持ち場と、心を残した持ち場が、自分の中にあっただけだ。
エンジンを切ったわけではありません。必要なら、いつでも動ける。ただ、すべての区間で回転数を上げて走ることを、やめていた。いわばアイドリングで待っている持ち場が、自分の中にいくつかあった。それだけのことでした。
ナギ(心の声)
省エネ運転が怖いのは、区間が広がること
ここで話が終われば、「上手に手を抜けるようになった中年の話」で済みます。でも、書いておきたいのは、ここからです。
ある日、部下から相談を受けた時に、「それでいいと思います」と、早めに話を終わらせそうになったことがあります。
内容としては、間違った回答ではありません。部下の案にも、大きな問題はありませんでした。でも、本当は相手が確認したかったのは、案の正しさだけではなかったはずです。何か引っかかっていることがあるのか。自信が持てないのか。別の懸念があるのか。以前なら、もう一つ質問していた場面でした。
その日は、早く自分の仕事へ戻りたい気持ちがあって、「いいと思いますよ」で閉じようとした。
その瞬間に、少し怖くなりました。
毎年同じ会議で省エネにすることと、人の話を省エネで聞くことは、同じではありません。
省エネ運転が怖いのは、いつの間にか「人」のいる区間まで広がっていくことだ。
燃費のいい区間だけのつもりで始めた省エネが、静かに範囲を伸ばして、心を残したはずの持ち場に届く。辞令を出した覚えのない持ち場に、いつの間にか辞令が回っている。そこまで広がったら、少なくとも僕は、もう「健全な省エネ」とは呼びにくいと思います。
だから最近は、時々、自分のエネルギーの使い先を棚卸しするようにしています。どの持ち場に、どの程度心を使っているか。7問のセルフチェックを、その点検に使うこともあります。診断されるためではなく、自分の配分を眺めるためです。
心の内示は、省エネにも、諦めにもなる
全部の仕事へ、同じ熱量を出し続けることはできません。
重要度の低い仕事で省エネにすることは、必ずしも諦めではない。管理職として引き受けるものが増えたからこそ、エネルギーの配分を変えることも必要です。むしろ、配分を変えずに全区間を全力で走り続けた先にあるのは、たぶん燃え尽きの方です。
分かれ目は、熱量の大きさではありませんでした。
省エネか、静かな退職かを分けるのは、自分で心の置き場所を選べているかどうかだ。
心の内示そのものは、悪いものではないのだと思います。問題は、その辞令を自分で書いたのか、それとも、いつの間にか書かれていたのか。自分で選んでいるなら、それは健全な省エネかもしれない。いつ始めたかも分からないまま、心を引き上げる範囲が広がっているなら、一度立ち止まって点検した方がいい。
情熱を取り戻すことが、正解ではありません。必要なのは、心を使う場所を、自分で選び直すことです。
僕は最近、帰り道に一つだけ思い出すようにしています。今日の省エネは、選んでやったものか。それとも、気づいたらそうなっていたものか。採点はしません。ただ、辞令の宛先を確認するだけです。
心の内示そのものを、悪と決めつける必要はない。
ただ、辞令の宛先は、時々自分で確認する。
「特にありません」と言ったあの日の僕に、いま声をかけるなら、たぶんこう言います。何も言わなかったこと自体は、いい。ただ、それを自分で選んだのかどうかだけ、覚えておいてほしい、と。
その後、僕は同じ言葉を、今度は言われる側になりました。その時に気づいたことは、初回の1on1で、僕が7割話していた話に書いています。
📒 持ち帰り用に、3行だけ
- 管理職の静かな退職は、「全部」より「持ち場ごと」に起きることがある。全部が冷めたわけではない
- 怖いのは省エネそのものではなく、「人」のいる区間まで無自覚に広がること
- 分かれ目は熱量ではなく、自分で心の置き場所を選べているかどうか。時々、辞令の宛先を確認する
※この記事は、一人の会社員の一次体験です。仕事への意欲が湧かない、眠れない、気分が晴れないといった不調が続く場合は、無理をせず、社内外の相談先や専門家を頼ってください。
— Calmly. Surely. —
もう一歩、深く知りたい人へ
「働かない人」を叩く本ではありません。健康社会学者の河合薫さんが、働く人の意欲がなぜ静かに失われていくのかを、個人の怠慢ではなく職場や社会の構造から解いていく一冊です。「自分の熱量が下がったのは、自分が弱いからだ」と思いかけている人ほど、視界が少し広がると思います。
働かないニッポン
働く意欲を奪っているものは何かを、職場の階層構造や社会の側から分析していく本です。熱量が下がった自分を責める前に、その熱量を削っている構造を知る。本記事の「自分で心の置き場所を選び直す」ための、背景地図になってくれます。
- 「静かな退職」が広がる背景を、構造から理解できる
- 意欲の低下を、根性論ではなくデータと事例で扱う
- 「有意味感」という、心の置き場所を選び直すヒント
自分の現在地を、外の物差しでも見ておきたい人へ
念のため書いておくと、これは「心が離れているなら転職しよう」という話ではありません。僕自身、辞めるためではなく、いまの自分が外からどう見えるかを一度確認するために、こうしたサービスを物差しとして使ってきました。心の置き場所を自分で選ぶには、選択肢を知っておいた方がいい。その程度の、静かな使い方です。
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