年齢は、耐力計ではなかった。 "まだ動ける"を余力の証拠にしていた40代管理職の話

(更新: ) 著者: ナギ
#40代 #管理職 #バーンアウト #燃え尽き #休み方 #部下育成 #若手管理職
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夜の自宅の机で、穏やかな表情でノートに書きものをする40代男性

僕は、何もしていない時間が、少し苦手です。

会社の仕事が終わったあと、僕はこのブログを書いています。文章を考え、画像を作り、次の記事の構想を練る。誰かに命じられた仕事ではありません。好きでやっていることです。

それでも、何かをしていることには変わりません。

たぶん僕は、疲れたから止まる人ではなく、疲れていても別のことを始める人間です。

僕は、何かをしていないと落ち着かない人間なのだと思います。休む才能は、あまり高くありません。

そして最近まで、こう考えていました。これだけ動けているのだから、まだ大丈夫だ、と。

まだ動けることを、まだ余力がある証拠にしていました。

この記事は、そんな僕が一つの調査結果に立ち止まった話です。若手管理職を心配するだけの話ではありません。最後は、僕ら自身の疲れへ戻ってきます。

📒 先に、この記事の予告を3行

  • 休むために、自分が限界だと証明する必要はない
  • 調査を見て気づいた。年齢は、耐力計ではなかった
  • だから、若手には自分の目盛りを当てない。自分には、戻れるうちに休む許可を出す

動けている日と、戻れている日

正直に言うと、最近の僕に「もう限界だ」という強い感覚はありません。

会社の外にもやりたいことがあり、仕事とそれ以外を切り替えられるようにもなりました。以前より、会社の疲れを家まで持ち込み続けることは減ったと思います。

ただ、振り返ってみると、疲れていても、予定があれば動けます。責任があれば、判断もします。夜になれば、文章も書けます。

動けているので、「自分は大丈夫だ」と思いやすい。

僕の場合、限界が近いというより、動ける自分を根拠にして、点検を後回しにしやすいのだと思います。

誤解しないでほしいのは、ブログを書く時間そのものは、会社の仕事とは違うということです。気持ちが切り替わり、むしろ元気になることもあります。仕事の外に気を置ける場所があるのは、僕にとって間違いなく救いでした。

ただ、好きなことなら動ける。それを、疲れていない証拠にはしない。そう考えた方が、よさそうです。

回復しながら動いている日もあれば、疲れたまま別のことへ走っている日もある。外から見れば、どちらも同じように動いて見えます。

部下の顔色の変化には気づくのに、自分の疲れは「気合いが足りないだけ」で片付ける。夏の重さは「歳のせい」で流す。思い当たる人は、僕だけではないはずです。

「若いから大丈夫」とは、言い切れなかった

そんな時期に、一つの調査結果を見て、手が止まりました。

マイナビキャリアリサーチLabが2026年6月に発表した「正社員の”バーンアウト(燃え尽き症候群)“に関する実態調査」(20〜50代の正社員4,096人対象)では、20〜30代の管理職(調査では「若年層の管理職」と区分)の36.3%が「今、バーンアウトしている」と回答したそうです。40〜50代の管理職(「中高年層の管理職」)は18.7%で、ほぼ2倍という結果でした。なお、管理職に絞った回答者数までは公表されていません。

かなり意外でした。

管理職として長く働いている40代、50代の方が、責任も、抱えているものも多い。だからバーンアウト状態の割合も、上の世代の方が高い。そう思い込んでいたからです。

数字を見て、一瞬だけ、「僕らの世代は、思っていたより持ちこたえているのか」とも感じました。

でも、すぐに引っかかりました。

若手が弱い、という話ではないはずです。

役割にまだ慣れていない。どこまで自分が引き受けるべきか分からない。期待に応えようとして、仕事を断りにくい。肩書きは付いても、十分な権限や経験がまだない。

いくつかの可能性は浮かびます。

ただ、正直に言えば、この調査だけで原因までは分かりません。

それでも、一つの気づきは残りました。

年齢は、耐力計ではなかった。

「若いから、まだ大丈夫」とは、言い切れなかったんです。

一つ添えておくと、WHOはバーンアウトを、適切に管理されなかった慢性的な職場ストレスから生じる「職業上の現象」と位置づけています。医学的な疾患として分類されているものではありません。この記事でも、個人を診断する言葉としては扱いません。

耐力の個体差

この数字を、どう受け止めればいいのか。考えているうちに、僕は自分の仕事の言葉に行き着きました。

僕は普段、材料がどこまで荷重に耐えられるかを考える仕事をしています。

材料に荷重をかけても、ある範囲までは、手を離せば元へ戻ります。ところが、ある境目を越えると、荷重を取り除いても、元の状態へ戻りきらなくなる。その境目を考える時に出てくるのが、「耐力」や「降伏点」という言葉です。

そして、現場で扱う材料には、もう一つの現実があります。

同じ規格の材料でも、耐力にはばらつきがある。人も、同じでした。

同じ材料名、同じ規格であっても、耐力が寸分違わず同じになるわけではないんです。製造のロット、加工の状態、板厚、温度。条件によって、ばらつきがある。

ナギ(心の声)
同じ規格のばねが3本並んでいても、同じ荷重で、1本だけ伸びが残ることがある。しかも、荷重をかける前に見分けることは、ほとんどできないんですよね。

ナギ(心の声)

材料には、耐力のばらつきがある。人には、耐えられる負荷の違いがある。

見た目や年齢が近くても、同じ負荷から戻れる範囲は、人によって違う。

同じ規格のばね3本のうち、2本は元へ戻り、1本だけ伸びが残る。耐力の個体差の概念図
図1:耐力の個体差。見た目では、境目は分からない。

もちろん、人は材料ではありません。人の「戻れる範囲」は固定された性能ではなく、仕事量や権限、周囲の支援、その時の生活や体調によっても変わります。

そして、念のため書いておくと、耐力が大きい方が優秀だ、という話でもありません。材料に必要な性能は、使われる条件によって違います。人も同じで、長く耐えられること自体を、能力や人間性の優劣にはしたくありません。

あの調査の数字も、そう読むのが一番自然だと思いました。同じ「管理職」という規格に見えても、置かれた条件と、戻れる範囲は、一人ひとり違う。どちらの世代が強いかではなく、個人差と置かれた条件の話として受け止める方が、僕にはしっくりきました。

僕の目盛りを、あの人に当てない

思い出したことがあります。僕自身の、管理職1年目のことです。

あの頃の僕にあったのは、うれしさよりも、緊張と責任感でした。任された以上、形にしなければいけない。チームを止めてはいけない。分からないと言ってはいけない。

新しいことも、未経験のことも増えて、楽だったわけではありません。それでも、緊張感と、初めて任された役割への気持ちで、動けていました。ブーストがかかっていたんです。

今振り返ると、ブーストがかかっていたから、耐力そのものが急に高くなったわけではなかったのだと思います。負荷が見えなくなっていた。あるいは、見えていても後回しにできていた。

管理職1年目のブーストは、負荷を消すのではなく、耐力メーターを見えにくくする。

自分のメーターすら見えていなかったのだから、若手の「元気そう」を信じすぎるのも、危ないのかもしれません。元気そうだから負荷を足す、という判断は、慎重にしたいと思うようになりました。

実際、僕は若手からの「大丈夫です」「問題ありません」を、そのまま受け取っていたことがあります。

本人が大丈夫だと言っている。仕事も進んでいる。表情も、極端に暗くない。そうなると、こちらも「まだいける」と判断しやすいんです。

でも今振り返ると、本当に余力があったのか、心配をかけたくなくてそう答えたのか、本人にもまだ分からなかったのか。僕には判断できません。

元気に見えていたから、大丈夫だと思った。でも、見えていなかっただけかもしれない。

管理職になったばかりの人ほど、周囲から期待されています。本人も、任されたことに応えようとする。その時の「大丈夫です」は、余力の報告というより、決意表明に近いこともあるのかもしれません。

もう一つ、白状しておきたいことがあります。

「自分の若い頃は、もっとやった」と、部下に言うことは、なるべく避けてきました。でも、言葉にしなければ、自分の目盛りを使っていないことにはなりません。

このくらいなら、まだできるだろう。管理職になったのだから、ここは乗り越えてほしい。自分も、同じ頃にやっていた。

そうした基準が、仕事の渡し方に混ざることは、ありました。今も、かなり意識しないと混ざります。

でも、僕が若かった頃と、その人が今置かれている条件は違います。周囲の支援。持っている権限。家庭の状況。得意な仕事と苦手な調整。回復に必要な時間。

そして、何より。

僕が耐えられたことは、相手が耐えるべき理由にはならない。

僕の限界を物差しにして、あの人の限界を測っていた。今は、仕事を渡せるかどうかだけではなく、「この負荷から、その人は戻ってこられそうか」という見方も、必要だったのだと思っています。

まとめ|限界を証明する前に、休む

最後に、これを読んでいるあなた自身の話に戻します。

動けなくなった人だけが、休んでよいわけではありません。

僕のように、疲れていても何かを始めてしまう人ほど、「まだ動ける」を休まない理由にしやすい。動けることと、回復できていることは、別の話なのに、です。

休むために、自分が限界だと証明する必要はない。

まだ働ける。まだ判断できる。まだ笑える。それでも疲れているなら、休む理由としては十分です。

耐力を超えるまで頑張ってから休むのではなく、元へ戻れるうちに、荷重を下ろす。そのための休みで、いいんだと思います。

限界を証明してから休むのではなく、元へ戻れるうちに荷重を下ろす対比図
図2:耐力を超える前に、荷重を下ろす。

今年はまず、お盆休みの初日を、予定で埋めずに残してみようと思っています。何かを始めたくなる自分は、たぶん当日も出てきます。あなたも、荷物を一つだけ、先に下ろしておくのはどうでしょうか。

年齢は、耐力計ではありませんでした。だったら、頼れるのは、自分の状態を時々見にいくことだけです。1分のセルフチェックも置いてあります。医療的な診断ではなく、今の自分にどのくらい負荷がかかっているかを、一度眺めるためのものです。若手に受けさせるためのものでは、ありません。まず、自分に使ってください。

📒 お盆前に、持ち帰ってほしい二段

  • 自分には、限界を証明する前に休む。疲れているなら、それだけで休む理由になる
  • 若手には、自分の目盛りを当てない。僕が耐えられたことは、相手が耐えるべき理由にはならない

※この記事は、一人の会社員の一次体験と、公開されている調査の紹介です。バーンアウトは医学的な診断名ではなく、本記事で個別の状態を判断することはできません。疲れが長く続く、眠れない、気分が晴れない日が続く時は、無理をせず、社内外の相談先や専門家を頼ってください。

— Calmly. Surely. —


もう一歩、深く知りたい人へ

「休み方が下手」を根性で直す本ではなく、そもそもなぜ僕らは自分に休む許可を出しにくいのか、から扱ってくれる一冊を置いておきます。心療内科医の鈴木裕介さんの本です。

心療内科医が教える本当の休み方 表紙
▶︎ 「休む許可」を出しにくい人のための一冊

心療内科医が教える本当の休み方

鈴木 裕介 著(アスコム)

「ちゃんと休んでいるのに、なぜかずっとしんどい」に向き合う本です。寝る・ダラダラする・スマホを見る、が休息になっていないことがある理由と、自分の状態に合わせた休み方を、責めない言葉で教えてくれます。

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